うたかた

湧き上がっては心を揺らす感情の泡を、戯れに文字にしてみる。 札幌、Vancouver、大津を経て東京に戻ってきました。

     

言葉

次女もあっという間に1歳9か月を過ぎた。
一歩二歩と歩けるようになってから延々と、
一歩、二歩、ペタン、ハイハイ、
やっぱりハイハイ、
数歩、ドスン、ハイハイ、
またハイハイ、
十数歩、バタン、ハイハイ
うーん、どうしてもハイハイ、
となかなかあんよに移行しなかった次女も、
1歳半を過ぎた頃から徐々にハイハイしなくなった。
歩き始めたらすぐにあんよに移行した長女とは随分違う。
 
言葉の発達も目覚ましい。
おーしゃん、た!(お父さん、いた)
ち、こ?(あっち行こう)
まんま、ったい!(ごはん食べたい)
にゃーにゃ、てー、そぃでー、わんわん、た(ネコがいて、それで、犬がいた)
 
私はつい、長女の思い出話をしてしまう。
長女ちゃんはちっちゃい時、
いただきますやごちそうさまを、「あーちゃ!」って言ってたよ、
雪が降った時のことを身振り手振りでお話ししてくれてかわいかったよ、
あれは何か月くらいの時だったかなあ…、
次女ちゃんよりも早くいろいろ言ってたかもしれないな、
手帳見れば書いてあるはずなんだけど。
 
次女はどうも、まず言葉の大きな枠組みを学習したようなところがある。
まだ言葉が言葉になっていなかった頃、
~たい、で希望や願望を表し、
~て、でお願いする
というところだけ習得し、
ポテたい!
ジュビジャブビたい!
アベジュビドゥってー!
などと何らかの要望を押し通そうとしていた。
何かがしたいことだけはわかるから、
アレかな?コレかな?
と対応していたら何となく丸く収まった。
 
最初に覚えた虫がダンゴムシだったから、
ダンゴムシを見ても
アリを見ても、
あしし、たー(ダンゴムシいた)
と言う。
花はみんな
あーしゃい(あじさい)
と言って指さす。
実家の庭でナスを育てている影響で、
ナスもトマトもキュウリも、
庭先で生っている野菜を見れば、
あす(ナス)
と言う。
 
曖昧な記憶によれば、長女は覚えたものしか言わなかった。
ナスを覚えてからトマトを見たら、
これは?
と聞いていたと思う。
ナスがナスならトマトもナス
という括り方は、なんだか新鮮だ。
 
長女はお茶が欲しい時、
ちゃ!とか
おちゃちゃ!とか言っていた。
次女はお茶が欲しくなると、
ぷ、ってー
と言う。
コップ、して
である。
 
人はみな、物の見方が異なる。
拙い言葉による表現は、その違いを鮮やかに描き出してくれる。
同じ両親から生まれ、同じ両親に育てられているのに、
世界の捉え方が、長女と次女でこんなに違うとは。
長女には長女だからこその愛おしさを、
次女には次女だからこその愛おしさを感じているように、
個人個人の違いをゆったりと愛せたらいい。



20060823 (1)-1re2
 どうも、あーかん(お母さん)です。

あじさい

誕生日なんて嬉しくない。
そう言う大人は多いけれど、私はなんとなくまだ、嬉しい。
子どもの頃の、
今日は誕生日だから嬉しい!
という思考回路がこの年になってなお健在らしい。

だから誕生月の6月は好きだ。
大抵雨でジメジメしているが、
梅雨といえば6月、
6月といえば誕生日、
誕生日といえば嬉しい、
というわけで梅雨も嫌いになれない。

そんな梅雨の季節に咲く花のことも、
結構、
いや、かなり、
好きだということに今年気づいた。
長女の一輪車の練習に付き合いながら、
次女とのんびり歩きながら、
近所の庭からのぞくあじさいを眺めた。

ほら、お花よ、あじさいのお花。
だんだん色がついてきたね。
見て、これ本当は花びらじゃないの。
こっちの小さいのがお花よ。
ここのあじさいはピンクがきれいだね。

今年は妙にあじさいがきれいだった。
本当に例年よりきれいだったのか、
今まであまり気に留めていなかっただけなのか、
この状況が花を美しく感じさせたのか、
娘たちと見るからきれいだったのか、
わからないけれど。

あじさいといえば雨、
雨といえば梅雨、
梅雨といえば6月、
6月といえば誕生日。
あじさいは6月生まれのための花だ。
6月生まれの私はそう思う。



20060823 (1)-1re2
 あじさいは冬芽もかわいい。

幼稚園が始まらない

今までに経験したことのない事態に、あたふたしている。
Stay homeの大原則と3密回避の間に広がる、
3密でない外出
の判断が個々人で異なっていて、
公園で遊具で遊ぶ際の注意点
をテレビで専門家が解説していたかと思えば
公園で子どもを遊ばせている身勝手な親
などとSNSで非難の声が渦を巻き、
スーパーに子連れで来るな
と様々な事情を全く顧みない声ばかりが大きく聞こえるわりに、
距離を保ちながら一人買い物をしていると間にどんどん人が入ってくる。

つらい。

この春、長女は年長さんとして大活躍を始めるはずだった。
入園したての頃、年長さんに靴箱やロッカーの場所を教えてもらった。
年長さんが猫除けの網をどけてくれた砂場や、
年長さんが用意してくれた遊具で遊んだ。
年長さんに誘われて植物園に遠足に行き、
秋には年長さんに誘われて運動会もした。
年長さんが掘ってきた大きなさつまいもをもらい、
年長さんが作ったあんずジャムや焼いもをもらった。

年中さんになると、年長さんと一緒に遊んだりした。
去年やって楽しかったことを、
今年もやる?
と年長さんに聞きに行ったりした。
相変わらず年長さんが用意してくれた砂場や遊具で遊んだ。
来年になったら自分も、
と思いを膨らませてきた。

年長さんになったらさ、
新しい子が入ってきたら、靴の場所とか教えてあげるんだ、
困ってる子がいたら、どうしたの?って助けてあげる。
係やるの楽しみだなあ、
砂場の網もいいけど、ブランコかけるのやりたいな。
おいも掘り行ったら年少さんの分も掘らなきゃ!
でもコロナがなあ、
と声の調子が急に落ちる。
早く幼稚園始まらないかなあ。

数百メートルの距離に私の実家があって、
同居する兄のところに従姉妹たちがいる。
だからもっぱら、長女はその従姉妹たちと遊んでいる。
楽しそうだ。
家では家事をいろいろ手伝ってもらうようにして、
魚のウロコ取りをしたり、
カレーをほとんど全部自分で作ったり、
それなりに充実している。

それでも、幼稚園でできるはずの経験を、
それに匹敵するような経験を、
させてあげることなど到底できない。
体は動かし足りないし、
ちょっとのことでメソメソ泣くようになった。
この1年が大事なのだ。
この1か月が、1週間が、1日が、
大人とは比べ物にならないくらい貴重なのだ。

命より大事なものなどない、そんなことはわかっている。
緊急事態だ、それもわかっている。
みんなが協力しなければならないことも、
みんなが我慢していることも、
そう簡単に事態は好転しないことも、
全部、全部わかっている!

ただ、子どもたちを守るべき親として、
成長に最適と思う環境を用意してあげられない歯痒さを、
悔しさを、
切なさを、
少しくらい吐き出してもいいでしょう?

幼稚園に行かせてやりたい。
お友だちと元気に走り回り、
転げまわり、
おうちごっこしたり砂遊びしたり、
ケンカして転んでぶつかって泣いて、
仲直りして一緒に遊んで笑い合って、
年長さんの誇りと責任感と思いやりをたっぷり心の中に育てて、
胸を張って次に進ませてやりたい。
それには今、今しかないのに!

災いよ去れ。
一刻も早く、
お願いだから、
早く、早く終わって。



20060823 (1)-1re2
 言っても仕方ないことだってわかっているけど。



医療関係者の皆様、ありがとうございます。
亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。

いい社会

ふた月ほど前のことだ。
最寄り駅から一人帰る途中、ふらふらと歩くおばあさんを見つけた。
ガードレールにぶつかるようにして一歩、二歩、
とうとうガードレールにもたれるように座り込んでしまった。
大丈夫ですか?
慌てて駆け寄って手を貸す。
すみませんねえ、ちょっと疲れてしまって、
とおばあさんが弱弱しくつぶやく。
ご主人を駅に送って、帰るところらしかった。

お家はどこですか?
こっちに真っすぐ上がってね、ちょっと行ったとこなんですけど。
え、この急坂を上るんですか?
とてもじゃないけどおばあさん一人で行くのは無理そうだ。
このまま少し休んだとしても難しいだろう。
そもそも近くに休めるような手頃な場所も無い。
途中まで一緒に行きますよ。
おばあさんの手を取り、一緒に歩き出した。

時々よろけそうになって手にグッと力が入る。
どうもありがとう、
ほんとに情けない、
あなたみたいな方がいてくださってよかった、
すみませんね。
だんだん息が荒くなってくる。
大丈夫ですか、休憩しましょうか?
幸い坂を上りきった辺りにお寺があって、
道の脇にベンチが設置されていた。
ちょっとここに座りましょう。

おばあさんは私の家の場所をたずね、
それじゃあこっち方向じゃないでしょう、
あとは自分でなんとかしますから、
と私を帰そうとしたが、
私もちょっと一緒に休憩しますー
などと言って隣に座り、おしゃべりを続行する。
あなた、そこの大学の学生さんでしょ?
いやいやまさか、子ども2人いますよ、わはははは。

おばあさんの話では家までもうすぐだ。
ここまで来たのだからちゃんと送り届けよう、
と勝手に決めて、また一緒に歩き出した。
疲れが手から伝わってくる。
歩みが安定しなくなり、早くなったり遅くなったり、
息も荒くなって、
ああ、いざという時はおんぶだな、
どうしようもなくなったらおんぶであそこの交番だな、
と頭の中で考えていた時。

自転車のおばちゃんがキキーッと止まって、
コンドウさん!
とおばあさんに向かって声をあげた。
コンドウさんでしょ、どうしたの?
駅の近くでふらふらになってらしたので一緒に来たんです、
と私が代わりに説明する。
まあ大変、あらーいい方がいてくださってよかったわね、
と自転車を止めてこちらに来てくれる。
どうやら家も知っているらしい。

家に着く頃にはコンドウさんは疲れ切っていて、
鍵も出せずにドアの外で座り込んでしまった。
ポケットに…
と絞り出すのを聞いて、
じゃあ鍵出しますね、
と私がポケットから鍵を出し、玄関を開ける。
おばちゃんと2人がかりでコンドウさんを助け起こし、
ドアを開け、
家の中にお連れして、
もうこれ以上はお手伝いできることはない。

もう大丈夫ですから、
どうもありがとうございました、
本当に助かりました、
ありがとう。
何度もお礼を言われて去り際、
コンドウさんがおばちゃんに言った。
えーっと、それで、あなたはどちらさんでしたっけ?

タンポポ堂ですよ、裏の!
おばちゃんは少しびっくりしたように言う。
ああ、タンポポ堂書店さん
とおばあさんが頷く。
玄関のドアを閉め、その外の小さな門も閉め、
自転車のところまでタンポポ堂さんと歩く。

あなたがいてくださって本当に運が良かったわ、
とタンポポ堂さんは言って、それから少し声を落として、
少し認知症なのかしら、
と私の顔を見た。
そうですねえ、同じ話を何度かしてらっしゃいましたけど
と私が答える。
コンドウさんいくつくらいかしら、
だんだんそうなっていくのよね、
私なんかそういう年に近づいてきたから考えちゃうけど、
年を取るって悲しいわね。

そんなことないですよ、
なんて言えなかった。
足腰が弱って、
記憶もおぼろげになり、
以前できたことがだんだんとできなくなっていく、
その惨めさを、軽々しく否定することはできなかった。

けれどその一方で、
「悲しい」で終わらせるわけにはいかない、
と思ったのだ。
久々の人助けに高揚していたのかもしれない。
咄嗟に、思いがけない言葉が口をついて出た。
いい社会にしていかないといけませんね!


あれから2か月も経つというのに、
いい社会にしていかないと、
という言葉が今も時々頭をよぎる。
コンドウさんが安心して出かけられる社会に。
タンポポ堂さんが老いを「悲しい」と思わずにいられる社会に。
大きな不安が渦巻く今だから余計に、その言葉に縋ってしまう。
いい社会にしたい。
誰もがお互いを大切にし合える社会に。



20060823 (1)-1re2
 家に籠もりつつ。

猫の色

もともと話し始めるのが早かった長女は、
絵本を諳んじ、
そこに出てくる表現を覚え、
テレビから単語を拾い上げ、
周りの大人が使う言葉を聞きかじっては試し、
お陰で4歳になる今では大人顔負けのおしゃべりをする。

それがまあ憎たらしいのなんのって、
揚げ足を取り、
正論を吐き、
痛いところを突き、
かと思うと口から出まかせを言い、
日々私の心を乱してくる。
(そしてまた私の心というやつは、いとも簡単に乱れるのである。)

けれども言葉というものは、
彼女の見ている世界を伝えてくれるもの
でもある。
それが時に、思いもよらない景色だったりするのだ。

先日、長女と道を歩いていた時のこと。
あ、ねこ!
と長女が声を上げた。
そしてすぐに、
あーでももう見えなくなっちゃった、
と続けた。
その辺りはいつも、2~3匹のねこがいる。
白と黒、
白黒茶が混ざったサビ、
一番よく見かけるのが、茶トラ。

何色のねこだった?
と私は何気なく聞く。
娘は黙っている。
色まではよく見えなかったかな?
と私は重ねてたずねる。
ねこが何色でも別にかまわないのだが、
それに恐らくは茶トラなのだが、他に話題もない。

娘はなおも黙っている。
それから、
えーっとね、何色かなあ、うーんと、えーっと、
とブツブツ言いだした。
そう言われてみれば、色の名前って難しい。
茶トラの茶色は、
茶色?
黄土色?
薄橙色?
いろんな色の名前が浮かんでは消える。

薄茶色と白のしましまかな、
と助け船をまさに出そうとしたその時、長女は言った。
あのね、あぶらげの色と、白!
息をのむ私を置いて、娘はパッと駆け出す。
確かに、
と私はその鮮やかな表現を噛み締める。
確かにあぶらげの色だ。
そして、
薄茶色と白のしましま
という薄っぺらい表現をうっかり伝えずに済んだことに、
心の底から安堵した。



20060823 (1)-1re2
 さてはお腹がすいてるな。
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