うたかた

湧き上がっては心を揺らす感情の泡を、戯れに文字にしてみる。 札幌、Vancouver、大津を経て東京に戻ってきました。

最近の出来事の話

夏の終わり

8月の終わり頃、近所を歩いていてふと、
そろそろ夏も終わりだな
と私が言ったら、
えー、まだまだ暑いんじゃない?
と夫に驚かれた。
確かにまだまだ暑かった。
だけど木や草の勢いが、その頃には
頭打ち
になっている感じがしたのだ。

次々に葉が開き、
草が競り合うように伸びていく初夏、
開いた葉が色濃く揺れる盛夏を経て、
お盆を過ぎる頃には、
今年はもうこれ以上伸びません
という気配が漂い始める。
この、もうこれ以上は、という感じが、
夏の終わりを思わせるのだ。

空き地一面を覆っていたエノコログサが、
オヒシバに場所を譲り、
穂先が茶色くスカスカになり、
木の葉がふたつみっつ、どこからか落ちてくる。
童謡「小さい秋みつけた」よりももっと前の、
かすかな、秘かな秋の欠片。
だから私は、気温がグンと下がりだす頃には、
もう随分前から秋っぽかったしね
と万全の心づもりができている。



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 やっと秋本番。

あじさい

誕生日なんて嬉しくない。
そう言う大人は多いけれど、私はなんとなくまだ、嬉しい。
子どもの頃の、
今日は誕生日だから嬉しい!
という思考回路がこの年になってなお健在らしい。

だから誕生月の6月は好きだ。
大抵雨でジメジメしているが、
梅雨といえば6月、
6月といえば誕生日、
誕生日といえば嬉しい、
というわけで梅雨も嫌いになれない。

そんな梅雨の季節に咲く花のことも、
結構、
いや、かなり、
好きだということに今年気づいた。
長女の一輪車の練習に付き合いながら、
次女とのんびり歩きながら、
近所の庭からのぞくあじさいを眺めた。

ほら、お花よ、あじさいのお花。
だんだん色がついてきたね。
見て、これ本当は花びらじゃないの。
こっちの小さいのがお花よ。
ここのあじさいはピンクがきれいだね。

今年は妙にあじさいがきれいだった。
本当に例年よりきれいだったのか、
今まであまり気に留めていなかっただけなのか、
この状況が花を美しく感じさせたのか、
娘たちと見るからきれいだったのか、
わからないけれど。

あじさいといえば雨、
雨といえば梅雨、
梅雨といえば6月、
6月といえば誕生日。
あじさいは6月生まれのための花だ。
6月生まれの私はそう思う。



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 あじさいは冬芽もかわいい。

幼稚園が始まらない

今までに経験したことのない事態に、あたふたしている。
Stay homeの大原則と3密回避の間に広がる、
3密でない外出
の判断が個々人で異なっていて、
公園で遊具で遊ぶ際の注意点
をテレビで専門家が解説していたかと思えば
公園で子どもを遊ばせている身勝手な親
などとSNSで非難の声が渦を巻き、
スーパーに子連れで来るな
と様々な事情を全く顧みない声ばかりが大きく聞こえるわりに、
距離を保ちながら一人買い物をしていると間にどんどん人が入ってくる。

つらい。

この春、長女は年長さんとして大活躍を始めるはずだった。
入園したての頃、年長さんに靴箱やロッカーの場所を教えてもらった。
年長さんが猫除けの網をどけてくれた砂場や、
年長さんが用意してくれた遊具で遊んだ。
年長さんに誘われて植物園に遠足に行き、
秋には年長さんに誘われて運動会もした。
年長さんが掘ってきた大きなさつまいもをもらい、
年長さんが作ったあんずジャムや焼いもをもらった。

年中さんになると、年長さんと一緒に遊んだりした。
去年やって楽しかったことを、
今年もやる?
と年長さんに聞きに行ったりした。
相変わらず年長さんが用意してくれた砂場や遊具で遊んだ。
来年になったら自分も、
と思いを膨らませてきた。

年長さんになったらさ、
新しい子が入ってきたら、靴の場所とか教えてあげるんだ、
困ってる子がいたら、どうしたの?って助けてあげる。
係やるの楽しみだなあ、
砂場の網もいいけど、ブランコかけるのやりたいな。
おいも掘り行ったら年少さんの分も掘らなきゃ!
でもコロナがなあ、
と声の調子が急に落ちる。
早く幼稚園始まらないかなあ。

数百メートルの距離に私の実家があって、
同居する兄のところに従姉妹たちがいる。
だからもっぱら、長女はその従姉妹たちと遊んでいる。
楽しそうだ。
家では家事をいろいろ手伝ってもらうようにして、
魚のウロコ取りをしたり、
カレーをほとんど全部自分で作ったり、
それなりに充実している。

それでも、幼稚園でできるはずの経験を、
それに匹敵するような経験を、
させてあげることなど到底できない。
体は動かし足りないし、
ちょっとのことでメソメソ泣くようになった。
この1年が大事なのだ。
この1か月が、1週間が、1日が、
大人とは比べ物にならないくらい貴重なのだ。

命より大事なものなどない、そんなことはわかっている。
緊急事態だ、それもわかっている。
みんなが協力しなければならないことも、
みんなが我慢していることも、
そう簡単に事態は好転しないことも、
全部、全部わかっている!

ただ、子どもたちを守るべき親として、
成長に最適と思う環境を用意してあげられない歯痒さを、
悔しさを、
切なさを、
少しくらい吐き出してもいいでしょう?

幼稚園に行かせてやりたい。
お友だちと元気に走り回り、
転げまわり、
おうちごっこしたり砂遊びしたり、
ケンカして転んでぶつかって泣いて、
仲直りして一緒に遊んで笑い合って、
年長さんの誇りと責任感と思いやりをたっぷり心の中に育てて、
胸を張って次に進ませてやりたい。
それには今、今しかないのに!

災いよ去れ。
一刻も早く、
お願いだから、
早く、早く終わって。



20060823 (1)-1re2
 言っても仕方ないことだってわかっているけど。



医療関係者の皆様、ありがとうございます。
亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。

いい社会

ふた月ほど前のことだ。
最寄り駅から一人帰る途中、ふらふらと歩くおばあさんを見つけた。
ガードレールにぶつかるようにして一歩、二歩、
とうとうガードレールにもたれるように座り込んでしまった。
大丈夫ですか?
慌てて駆け寄って手を貸す。
すみませんねえ、ちょっと疲れてしまって、
とおばあさんが弱弱しくつぶやく。
ご主人を駅に送って、帰るところらしかった。

お家はどこですか?
こっちに真っすぐ上がってね、ちょっと行ったとこなんですけど。
え、この急坂を上るんですか?
とてもじゃないけどおばあさん一人で行くのは無理そうだ。
このまま少し休んだとしても難しいだろう。
そもそも近くに休めるような手頃な場所も無い。
途中まで一緒に行きますよ。
おばあさんの手を取り、一緒に歩き出した。

時々よろけそうになって手にグッと力が入る。
どうもありがとう、
ほんとに情けない、
あなたみたいな方がいてくださってよかった、
すみませんね。
だんだん息が荒くなってくる。
大丈夫ですか、休憩しましょうか?
幸い坂を上りきった辺りにお寺があって、
道の脇にベンチが設置されていた。
ちょっとここに座りましょう。

おばあさんは私の家の場所をたずね、
それじゃあこっち方向じゃないでしょう、
あとは自分でなんとかしますから、
と私を帰そうとしたが、
私もちょっと一緒に休憩しますー
などと言って隣に座り、おしゃべりを続行する。
あなた、そこの大学の学生さんでしょ?
いやいやまさか、子ども2人いますよ、わはははは。

おばあさんの話では家までもうすぐだ。
ここまで来たのだからちゃんと送り届けよう、
と勝手に決めて、また一緒に歩き出した。
疲れが手から伝わってくる。
歩みが安定しなくなり、早くなったり遅くなったり、
息も荒くなって、
ああ、いざという時はおんぶだな、
どうしようもなくなったらおんぶであそこの交番だな、
と頭の中で考えていた時。

自転車のおばちゃんがキキーッと止まって、
コンドウさん!
とおばあさんに向かって声をあげた。
コンドウさんでしょ、どうしたの?
駅の近くでふらふらになってらしたので一緒に来たんです、
と私が代わりに説明する。
まあ大変、あらーいい方がいてくださってよかったわね、
と自転車を止めてこちらに来てくれる。
どうやら家も知っているらしい。

家に着く頃にはコンドウさんは疲れ切っていて、
鍵も出せずにドアの外で座り込んでしまった。
ポケットに…
と絞り出すのを聞いて、
じゃあ鍵出しますね、
と私がポケットから鍵を出し、玄関を開ける。
おばちゃんと2人がかりでコンドウさんを助け起こし、
ドアを開け、
家の中にお連れして、
もうこれ以上はお手伝いできることはない。

もう大丈夫ですから、
どうもありがとうございました、
本当に助かりました、
ありがとう。
何度もお礼を言われて去り際、
コンドウさんがおばちゃんに言った。
えーっと、それで、あなたはどちらさんでしたっけ?

タンポポ堂ですよ、裏の!
おばちゃんは少しびっくりしたように言う。
ああ、タンポポ堂書店さん
とおばあさんが頷く。
玄関のドアを閉め、その外の小さな門も閉め、
自転車のところまでタンポポ堂さんと歩く。

あなたがいてくださって本当に運が良かったわ、
とタンポポ堂さんは言って、それから少し声を落として、
少し認知症なのかしら、
と私の顔を見た。
そうですねえ、同じ話を何度かしてらっしゃいましたけど
と私が答える。
コンドウさんいくつくらいかしら、
だんだんそうなっていくのよね、
私なんかそういう年に近づいてきたから考えちゃうけど、
年を取るって悲しいわね。

そんなことないですよ、
なんて言えなかった。
足腰が弱って、
記憶もおぼろげになり、
以前できたことがだんだんとできなくなっていく、
その惨めさを、軽々しく否定することはできなかった。

けれどその一方で、
「悲しい」で終わらせるわけにはいかない、
と思ったのだ。
久々の人助けに高揚していたのかもしれない。
咄嗟に、思いがけない言葉が口をついて出た。
いい社会にしていかないといけませんね!


あれから2か月も経つというのに、
いい社会にしていかないと、
という言葉が今も時々頭をよぎる。
コンドウさんが安心して出かけられる社会に。
タンポポ堂さんが老いを「悲しい」と思わずにいられる社会に。
大きな不安が渦巻く今だから余計に、その言葉に縋ってしまう。
いい社会にしたい。
誰もがお互いを大切にし合える社会に。



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 家に籠もりつつ。

バースレビュー その2

10月10日、予定日より6日早く、次女を出産した。
長女の時と同じ病院で、今回もまた(2015/4/10
バースレビュー
の紙を渡された。

ご自分の出産体験を振り返り、今のお気持ちを是非書き留めておきましょう。
経過を通じ、考えていたこと・感じたこと・印象に残っていることをご自由にお書きください。
出産後2~3日目ごろのご記入がお勧めです。

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(記入日10月12日)

出産前から、前駆陣痛と本陣痛の区別が付かないのではと思っていたのですが、案の定よくわからず、数分に一度床にはいつくばりながら上の娘と昼食をしっかり食べ(という時点で既に陣痛間隔が数分だったわけです、今思えば)、父の車で40分の道中は深呼吸をくり返し、ふと陣痛アプリの記録を見ると病院に到着する頃には間隔が3分などということもチラホラ。車椅子でそのまま分娩室、即分娩台、およそ1時間後には生まれているという怒涛の出産でした。味わう余裕もなかった。

そもそも13日(土)にある上の娘の運動会に行きたくて、「まだお腹にいてね」とくり返し語りかけ、まあそんなに都合よくいかないよなと思いつつもどこかで「待っていてくれるのでは」と信じているようなところがあったのです。だから陣痛が来ても簡単には本陣痛だと認めたくなかった。長女の時に、一度帰宅することをすすめられた記憶も手伝って、つい自宅で頑張りすぎました。まさかこんなに猛スピードでお産が進むとは…。

思い返せば長女の時には、陣痛の波が押し寄せるたびに「広大な宇宙にある大きな渦に放り込まれて翻弄される藻クズのような感じ」などというわけのわからない感想を抱いたものでしたが、今回は体力を消耗していなかったせいか感覚が非常にクリアで、産道が押し広げられる感じや、穴から生温かいぬるっとした固形物が半分出ている感覚までしっかりとわかり、出産の生々しさを実感することができました。おもしろかった。

蛇足ですが、長女のお産の時、分娩台でウンウン呻いている間、夫はソファで寝ていました。ノドが乾いていてもなんだか起こすのが悪い気がして言えなかったけど、「他ならぬ出産なのに何を遠慮することがあろうか」という思いも一方であって、ずっとなんとなく釈然としないものが心にあったのです。今回仕事からこちらに向かう夫がタクシーではなく地下鉄に乗ったと聞いて、何の遠慮もなく「タクシーで来い!」と声を荒げられたのがひとつ収穫で、3年半前の思いが成仏しました。まあ本人に直接言ったわけではないのですけどね。スッキリしたからいいのです。夫、間に合わなくて残念でした!

最後になりましたが、お産時に担当してくださった助産師のYさんをはじめ、入院中にお世話になった皆様、どうもありがとうございました!



20060823 (1)-1re2
 こういう作文得意。
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