うたかた

湧き上がっては心を揺らす感情の泡を、戯れに文字にしてみる。 札幌、Vancouver、大津を経て東京に戻ってきました。

真面目な話

オムツのCM

オムツのCMが話題になっているらしい。
赤ちゃんのお世話をするお母さんが、
泣く子に戸惑い、
寝不足で苛立ち、
抱っこで身体を軋ませ、
自信をなくし、
でも泣いたり笑ったりしながら我が子と歩んでいく、
という内容のCMだ。

「子育てに奮闘するお母さんたち」を
「励ましたい」
という意図であろうことは、
善意と精神的余裕をもって見ればわかる。
「私の大変さをわかってもらって嬉しい」
と思い、
「大変なのは私一人じゃないんだ」
と安心するお母さんもいるかもしれない。

しかし批判の声も多い。
何しろこのCMは、
お父さんがほぼ不在、
過酷な部分ばかりが畳みかけるように描写され、
ほとんど全編、母一人子一人、
とにかく孤独だ。
誰も、本当に誰も、手を差し伸べてくれる人がいない。
救いとして描かれるのは、ただ一つ、
我が子の笑顔だけ。

確かに子どもの笑顔は強力だ。
だけどなあ。
我が子の笑顔を見ると疲れが吹き飛ぶ
には限度があるのだよ。

こんな大変な育児をしているお母さんたちが、
実際にこのCMを見て、
「みんな大変なんだから、一人で頑張らなきゃ」
と思ってしまいはしないか心配だ。
そして何より、
「誰も助けてくれないのが普通だ」
と思い込んでしまったら、とても不幸なことだ。

ギリギリの生活を送るお母さんたちが欲しいのは、
睡眠時間と、
手を貸してくれる人、
それに尽きる。
そうでしょう?

早く帰ってきてくれる夫。
家事を手伝ってくれる家族や友人。
子どもの様子を見に来てくれる保健師さん。
外出先でグズる子をあやしてくれる人。
重い買い物袋を持ってくれる人。
贅沢は言わない、
ベビーカーを半歩避けてくれるだけでも、
子どもを見て少し口角を上げてくれるだけでもいい。

そういう人が全然いないと思っていると、子育ては苦しい。
だけど、そういう人たちは、結構たくさんいる。
お母さんが、ちょっと目を上げたら。
ちょっと周りを見回したら。
ちょっと肩の力を抜いたら。
手を貸そうかな、
大丈夫かな、
という目が、意外とたくさんお母さんを見守っている。

子どもに笑いかけたらお母さんが不審がるかな、
ああ、ほんとは抱っこ代わってあげたいけど、
下手に何かしてもっと泣かせたら悪いな、
という遠慮に覆い隠されたたくさんの善意がそこにある。
抱っこの子が、後ろの人にあやしてもらっていたり、
周り中の人に笑いかけてもらっていたり、
本当は今だって、お母さんは一人じゃない。

CMに描かれなかったそういう人たちの存在を、
私だったらもっと見たい。
もっと知りたい。
その方が、ずっと救われる気がするから、
このブログの片隅に、
ひっそりと、書いておく。



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 お節介おばさん、ここに在り。


※CMの動画はこちら

ただ泣くことしかできない

2006年の7月から、
2012年の3月まで、
カナダのバンクーバーで過ごした。
いいことばかりではなかった。
楽しいことばかりではなかった。
一時帰国から戻るときはいつも、
涙をぐっと堪えて飛行機に乗った。

でもあの頃は、懸命にもがいていたのだ。
ここじゃないどこかに辿り着くために、
今じゃない未来を切り拓くために。
もっと笑顔になるために。
今の勇気や頑張りが、
明日につながると信じて。
小さな幸せをひとつひとつ噛み締めながら。

そのバンクーバーの地で、
年のあまり変わらない女性が一人、
殺されたというニュースがあった。
海外に住むのが夢だったとか、
英語を上達させようと頑張っていたとか、
積極的で明るい性格だったとか、
ニュースは伝える。

彼女はあの頃の私だった。
私がなりたかった私でもあった。
今の奮闘の末、
何かをつかみ取り、
或いは少しの苦みやしょっぱさを味わい、
昇華させ、
ひと回りもふた回りも大きくなって、
次の場所へと進んでいくべき、
あの頃の私だった。

殺されたのは私かもしれなかった。
だとしたら、その無念さは想像を絶する。
私は、生きていたかった。
奮闘にいつか区切りをつけたかった。
次の一歩を踏み出したかった。
自分で稼いでみたかった。
夫と出会い、娘を生みたかった。
これからもっとずっと、
笑ったり泣いたりくしゃみをしたり、
悩んだり喜んだりしていたかった。

彼女はもういない。
彼女の人生は永遠に終わってしまった。
私はただその痛みを想像して、
泣くことしかできない。




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 ご冥福をお祈りいたします。

忘れてないよ

被災した人たちにとって
忘れられてしまう
ということが一番心配なのだと、どこかで読んだ。

被災地以外の人たちにも多くの傷を残した今回の災害。
何もなかったかのように振る舞う
ことで、平静を保っている人たちもいるかもしれない。
そういう振る舞いが、
忘れてしまった
ように見えることもあるかもしれない。

でも、忘れてないよ。

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ショーウィンドウに日本応援Tシャツを掲げてくれている、
カスタムTシャツ屋さんも。

忘れないよ。

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車の後ろにステッカーを貼っている人たちも。

何もできないけれど、

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遠くから、祈ってる。



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 4月下旬のバンクーバーにて



※車のナンバーは書き換えてあります。

クリスマスツリー

12月になった。
10月末のハロウィン後から高まりつつあった
クリスマス気分
が、いよいよ本格化してきた。
お店や家々は電飾で彩られ、
テレビではプレゼント商戦が加熱している。

ところで、クリスマスといえばクリスマスツリーである。
こちらでは本物のモミの木を使うことが多い。
天井に届く程の大きさに、最初の年は驚いたものだった。
しかしそれ以上に驚いたのは、
それらの木が切られたものであり、
クリスマスが終わったらそれを捨ててしまうこと
だった。

ツリーの下にプレゼントを置くから室内でなくてはならないし、
室内で育てるわけにもいかないのだろうし、
よく考えればそれが合理的というものだ。
けれど各家庭に一本ずつ、
それに加えて会社に、お店に、学校に、
数えきれないくらいの木が、毎年伐られ捨てられていることになる。
なんとかならないものかな。
他人事のように、ぼんやり思っていた。

そうこうしていたら、見つけた。
植木鉢で配達し、クリスマス後は引き取って育ててくれるところ。
EVERGROW Christmas Trees Company
まだできたばかりの会社で、今度が初めてのクリスマス。
採算は取れるのか、とか、
配達や回収は大変過ぎやしないか、とか、
いろいろ余計なことを心配してしまうけれど、
バンクーバーもなかなかやるじゃない。



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 それにしても高いものなんだな。

チェーンメール

日本にいる友人からメールが来た。
一枚の写真と、短い文章。
いわゆるチェーンメールというやつだ。
これが実は曲者だった。

9b03c5c6.jpg






(画像加工済み)

沖縄で、何年かに一回現れる『神の手』という雲だそうです。
幸せになって欲しい人七人に送ると願いが叶うそうです。
七人より多くなる分は、いいそうです。
これで今年は幸せになりましょう…

宛先には高校時代の同級生の名前が3人連ねられていた。
気にかけてくれているんだな
なんて嬉しくなっちゃったりした。
けれど…。

沖縄で、何年かに一回現れる
この部分が引っかかって、ネットで検索してみた。
だってそんなの聞いたことがない。
曲がりなりにも干支を二周りしているのだ。
そろそろ20年前を語ることだってできると自負している。
…と、先日同齢の友人に言ったらまだ早いと窘められたが。

調べてみたら、やはりガセだった。
しかも結構流行遅れな感じでガセだった。
さらには元ネタはどうやらものすごく下品であるらしい。
PSJ渋谷研究所Xというブログの記事が詳しいので参照されたい。
…いや、これもgoogleで得たネット情報に過ぎないのだが、
この情報はなんとなく信じていいような気がする…
という検証無き判断のもと、後は読者に丸投げすることにする。
(PSJ渋谷研究所Xの皆様ありがとうございました。)

それにしても、適切な情報の選別が非常に難しくなった。
幸せを運ぶ
なんて言葉でキレイに飾られて、卑猥な悪戯画像が飛び回る。
善意でつながる友人関係が汚染される。
時には誰かを傷つけるかもしれない。
本当は、幸せになって欲しかったのに…。

情報の管理は自己責任だ。
知らなかったが故に大切な何かを失うことは避けたい。
硬い話で申し訳ないが、気になったので紹介してみた。
チェーンメール、要注意だ。



              でも幸せだけは届けたい → be6c0a4e.gif
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